mcmisno1のブログ

早期退職を考えて悩む55歳

コーヒーショップ

本日はもう一つ

毎朝のコーヒーショップ。

以前はハンバーガーチェーン店でした。

いつから出来たのか?ネット検索してもハッキリと出てきませんでした。

通い始めて18年?19年?

2009年のメニューが写メに残っていたのでそれ以前なのは確かです。

10年程前まではアメリカンコーヒー1杯190円+税だった記憶が残っています。

今は当時と比べておよそ2倍となっています。

10年間でずいぶん高くなったものです。

年収も同じ伸び率で上がれば良いけど、ずいぶん遅れをとっています。

約20年近く通うこのコーヒーショップの店員の顔触れも年月とともに変わっていきました。

1~2年前に良く見かけるようになった方(店長さんでした)が4月になって見かけなくなり他の方に聞いたところ移動になった。との事。

私は30年以上も同じ拠点で過ごしています。

それで良かったと思っていましたが経営が変わってからは移動したいと思うようになりました。

同じモノでも角度が変われば見え方も変わることがあるんですね。

今置かれている自分の状況から、それを思わずにいられない。

出向者がいない部署が羨ましい。

出向者の異動通知が待ち遠しい。

暦通り初夏の兆し

ゴールデンウイーク明けの今週、月曜日から今週木曜日に期限の有るメインの仕事を進めてきました。

今年のGWは7.8日と2日間のリハビリDayが入った事で月曜日から仕事に入り易かった気がします。

私の平日は早めに家を出ています。

どのくらい早いかと言いますと勤務時間15分前に会社に着く時間からすると1時間半早く家を出ます。

その1時間半は勤務先最寄り駅近くのコーヒーショップで過ごしています。

このルーティンは20代終わり頃から続けています。

それまでは8:30に最寄り駅に着けば良い感じで家を出ていました。

きっかけとなったのは満員電車のスムーズな乗降に必要なマナーを無視する人の存在でした。

つり革、手すりにしがみついて、降りる人の邪魔になっているのにも関わらず、どうしても動かない人。

たまに居ますよね?

また、混雑している車内にあっても手すりやつり革につかまろうとすると露骨に嫌な態度や払いのける人もいました。

これを何度か不意打ちでくらって、ある時思ったのでした。

自分でコントロール出来ない事で仕事前に嫌な思いをするのが馬鹿らしくなり、制御するには出勤時間を変えるのが手っ取り早いと試したことがとても有効だったからです。

本来より1時間半早い6時半頃の電車です(乗車駅がわりと都心に近いためそこそこ混んでいますが)それ以来、記憶に残る限り同じような思いはしていません。

帰りの電車ではごく稀に遭遇しますが、こちらは電車通勤をやめない限り避けようがありませんね。

しかし、どうしてそんな行動を取る人になってしまったのか分かりませんが、社会で生きる者としてみると、おそらくこれまでたくさんの人とぶつかり、喧嘩もした事も多いだろうと思うと、とても生きにくい事を続けているのが哀れに思えます。

 

さて、コーヒーショップの1時間半、20代の頃は新聞を読み、持参の小説を読む時間でしたが、スマホの普及と共に動画と映画と移り変わっています。

もっか早期退職を考えている事もあり、人生の移り変わりを表現したような映画やドラマを好んで見ています。

ドイツ映画「希望の灯り」を見終わりました。

ベルリン国際映画祭のエキュメニカル審査員賞、ギルド映画賞を受賞した作品。

主人公の無駄にした時間と希望の灯りを徐々に増やしていく姿を映画という短い時間の中できれいに描いている作品でした。

自分自身の人生の岐路に立っているから敏感なのかもしれませんが人生とは自分が選んだ先に連なる交差点の数々だと改めて感じます。

私が生まれてからこれまで選択した結果が今になるわけです。

今は退職するかじっくり考えていますがここまで来れたのは、やはり上出来です。

 

 

 

自己紹介的なこと⑧

ブログ周りにある機能を手さぐりに使ってみる。背景が付けることが出来たり、マイブログの丸の中に写真を入れたりできました。

メインとサブ?私のブログは書き出したのがメインというブログではない方に書いているけど何か違いがあるのか?引っ越した方が良いの?分からず仕舞い。

さて、前回は1998年まで書きました。

今となっては私の自立するための試金石だったのかもしれません。

父の葬儀の頃は、冬季五輪(長野オリンピック)が開かれていた期間と重なります。

思い返してもこの時は虚無感というものでしょうか、地に足がついていないような時間を過ごしていました。

生まれてからずっと一緒に生活していた人が予定もなく突然居なくなる。

この衝撃的な事実を受け止められていない時間でした。

オリンピックもテレビをつけて視聴していたけど全く頭に入ってきませんでした。

祖父が5年前に亡くなり、父が亡くなり、1998年春から祖母と母と弟の4人家族に減りました。

この頃はバブル経済崩壊もはっきりして、山一倒産、不良債権、住専問題と金融不安へ向かう時代も相まって不安な気持ちになりました。

そうは言っても時は過ぎるわけで、時間と共に人間は慣れて行くもんだと思いました。

当時は独身27歳の会社員です、自分の能力を高めたい欲求もありました。

約30年の月日が経ち自分も若い時は期待を超えたいという熱い思いもあったのだと思い出されます。

若気の至りもあり、若者らしく向上心もあり、たどり着いた先が今なのです。

こうして自分史を書いていると高校から社会人になるまでのおよそ6年間は親の庇護のもと甘えに甘えて無駄に過ごした時間でした。

一般的には学生時代の人生の中でも輝いている時期だと思いますが、私はその中心となる学校生活をいい加減に過ごしてしまいました。

1度きりの人生なのにもったいない事をしてしまったと思います。

親となった今、反面教師という言葉が当てはまるのか分かりませんが、子供たちに同じような時間を送ってもらいたくないため、無意識のうちの言動に表れているようです。

この日記に書いたほど詳しく話したことはないですが、お父さんは高校の頃いい加減に過ごしたから後悔している的な話をします。

また、その上で今の自分の位置は上出来だとも話しています。

この会社に30年以上勤めて、家庭も持てたのは本当に上出来です。

自己紹介的なこと⑦

これまで書いた記事を読み返すとブログを始めて間もない事もあり、書き込むことに集中して改行の無さに驚きました。

皆さんのブログを見ると大きな改行や画像を入れたり、センスが良いです。

という訳で遡って改行を入れたり、文章を書き足したり修正をしてみました。

ブログを行っている皆さんも、きっと修正書き足しはしているんだろう。

日記というものを書いたこと無くここまで人生を歩んできましたが、過去の節目を思い出して文章に記すことは自分史を客観的にみる事が出来てとても良いものです。

経験してきたことを列記しただけでも1人の人間の人生史になりました。

こうして数日前からブログを書いただけで新しい発見をしたような心境です。

ブログをどこまで続けられるか今は分かりませんが、時が過ぎて書いてある事を読み返すことはきっとあると思います。

その時は今と違った思いもあるでしょう。

これが若いころから続けてきた人ならば、その日記はとても読みごたえあるもの。

人に歴史ありです。

さて、そんな巡り合わせで入社した現在の会社、経理のいろはを教えてくれて少しづつ担当する業務が増え始めて定着しました。

時を合わせて自分でも更に知識を得たいという欲求も芽生えて就業後に神保町の簿記学校へ通い、簿記1級を目指します。(1級は取れませんでした)

入社して4年後に父が病気で亡くなりました。

54歳の現役会社員、仕事終わりに飲み屋に行くようなごく普通の会社生活を送る父でした。

それがある朝、調子が悪いから会社休んで病院へ行く。

それまで会社を休むなんて口にする事のない父が発した言葉に、私も嫌な予感はしました。

すぐに検査を行ったところガンが判明、余命半年の宣告を受けた翌日には亡くなってしまう。余命期間をどう過ごしたら良いのか?と考える時間もなく旅立った父。

前週まで普段通りの生活を送っていたので突然の別れに悲しむより戸惑いが大きく、急に色々な重い荷物を背負ったような気持ちでした。

私は、この時感じた事は大人になったと思っていた自分は、実は父という大きな傘の下にいたような、外から入る様々な出来事に頼る相手(傘が無くなり)が居なくなったようなプレッシャーを感じました。

27歳にもなった私はすねかじりのお子ちゃまでした。

母を支え、祖母を励まし、一家の長として振る舞う。

傍から見たら対した事でも無いかもしれませんが、この辺りから大人として一皮むけた気がします。

時は1998年立春の頃の話です。

ゴールデンウイーク2026 終盤

暦通りのゴールデンウイークは5連休と飛び石の休みです。

5連休明けの通勤電車も普段より人が少ない気がします。7(木)8日(金)休んで後半を7連休にした人もそこそこいるのだろう。

うちの会社も出勤記録を見ると2名いました。というかこの2名は29日~5/10までの12連休でした。

毎朝滞在するコーヒーショップもいつものメンバーが戻ってきました。

今年のゴールデンウイークは天気に恵まれて外出する予定を立てていた人は良かった事でしょう。

私はというと娘の成人式の前撮りというイベント、気持ち良い季節になりテラスでコーヒーでも如何?奥さんと義父母、義姉を誘い広い公園にある有名珈琲チェーンの朝カフェに連れて行ったくらいです。

以前書きましたが2年前までは会社の格安保養所があったので年間6回もこの保養所を拠点に旅行に行くことが恒例でしたが、この保養所の契約も終了となり、旅行ロスも2年になります。

会社を辞めたら個人でこの保養所を運営している管理会社に予約を取って懐かしい時間を過ごす、やりたい事リストの1つです。

何しろ20年以上も毎年5~6回は宿泊していたので現地で働く長い従業員は私の子供が増えていき、その成長も20年間見ていたような関係でした。

今夏は、春就職した息子の会社の保養施設に行けたら良いなと今からお願いしています。

自己紹介的なこと⑥

そして簿記の勉強をするために、どんな方法があるのか調べました。

お金を掛けずに講座を受講できる方法は無いか?以前、失業保険の手続きをした際に職業訓練校の紹介を思い出し見つけました。

簿記講座。アルバイトを辞めて職業訓練生の申し込み、無事に受講生となれました。

6か月受講(うろ覚え)生徒は年齢も幅広く19歳から60歳の男女が1クラス30人くらい。

全員失業中なのに週末は飲み会をしたり、テニスをしたり、BBQしたりと楽しい時間でした。

必然と仲良しグループも出来て個別に出かけるような関係もあったりしてあっという間に卒業となりました。

同級生とは違う感覚を持つ受講生の意識の高さに感化されたこともあり、受講中に簿記3級と準2級、卒業後に2級をとりました。

卒業後には職安求人を紹介されて1社面接に行きましたが不採用。

その後、自分でハローワークへ通い経理の求人を探して今の会社を見つけました。

募集内容では給与は二の次として退職金がある会社を検索の中心にしました。

何故なら中小企業で退職金がある会社(記載しているという事)は全般的にしっかりとした経営であるだろうと当たりをつけて。

ほかにも勤務地は千代田区で通いやすく社歴も古いので長く勤めるには良いだろうと思い応募しました。

面接を受けたところ会社の代表者(創業者)が面接をする事になり、当時70歳くらいの創業者は話をする中で人情味を感じたので悪くないと思いました。

会社側も若手が辞めたところなので23歳の私はちょうど良い。

給与は最初は安いが長く務めたら生活は出来るくらい出すという創業者の言葉に私は信ぴょう性を感じました。

という事で最初の会社を辞めて3年後24歳で2回目の会社員生活が始まりました。

給与は18.3万円くらいだったと思います。

今の初任給からしたら安いです。

入社後はとても自分に合っている会社だと感覚的に分かりました。

国内に15か所くらい拠点が点在している会社です。

私の職場は少人数6名、上司は大手商社から早期退職して創業者に拾われたと言っていました。

この方はとても優しく、知識が豊富で息子ほども年の違う私に目を掛けてくれて、月次、決算など経理マンとしてのイロハを教えてくれました。

あんなに不安定でどうしたら良いのか分からなかった私がたまたま見つけた会社で願ってもない上司やオーナーにあたりました。

創業者であり代表者の方にも今でも当時の恩義と思い出が残っています。

残念ながらこの上司の方(2005)と創業者(2015)の方は亡くなられていますが私の人生の恩人として思いがあります。

母の勧めで簿記を勉強した事、今の会社をハローワークで見つけた事、入社できた事は私の人生を大きく変えてくれました。

若気の至りもありながら進んできた私。

人生の様々な選択が今の自分へ通じている事が不思議に思う事があります。

自分では到底設計出来ない、言ってみれば黄泉の国からの大きな力の導きなのかもしれません。

人生とは安全な道を進んでいると思っていても落とし穴があったり、危ない道と思っても進んだ先には思いがけない未来が切り開かれたりする事があったり、一筋にいかない本当に不思議なものです。

私はこれまでの人生の道のりは好し悪しはあっても、家庭を持ち、健康に生活を営むことが今のところ出来たわけで運に恵まれて正に有り難い事です。

時折、子供たちにお父さんは運が良いと思うと言葉にして伝えています。

自己紹介的なこと⑤

前述の通り、仕事らしい仕事が無いまま雑用がメインの仕事。

時が過ぎるほど不安が増していきます。半年を過ぎる頃には空いた時間は転職を考え始めます。

就活もしないでいて、せっかく紹介されて入社した会社もそんな気持ちから1年間で幕を下ろしました。

社会人1年生、当時わずか1年だけの就職でも退職後に解放感を感じた事を覚えています。

ただ、時間を追うごとに社会から出てしまった事に対して孤立感と先々の不安感も強まっていきました。

たかが1年、されど1年の貴重な社会経験でした。

この退職した春は同級の大学生なら新社会人になる年です。

晴れやかに社会に出る年に自分は社会から出て何者でもない人になってしまった。

街を歩くフレッシュマンがまぶしく映ります。

私は学生という身分も無く、会社組織に属さない者。

今まで感じた事の無い焦りと不安を持っていたい事を今でも覚えています。

家にいて一日過ごすのではなく何か始めないと、どんどん置いてけぼりになる。

そんな気持ちからとりあえず日中は働こうとアルバイトを始めます。

選んだのはガソリンスタンドのバイト。

19歳の時に1年経験があるのでスムーズに入れました。

この頃はバブル景気時代を通じて組織に属さず自由に生きるフリーターという方が多くいました。

知人や親せきなどからフリーターなの?と言われることが私はとても嫌でした。

今はアルバイトをしながら何をしたら良いのか?自分が進むべき方向を考える時間と答えていました。

実際は日々過ごすだけでやりたい事など見つけられずに時間だけが過ぎていきます。

そうこうしていると同居していた大好きな祖父が突然亡くなりました。

社会人から離脱した孫をどう思っていたのだろうか?せめて勤め人として送りたかった。

言いようのない無念さが残りました。

両親も辞めた際に何かを言われた記憶もなく、今思えばどんな気持ちで見守っていたんだろう?

こんな何も持ち合わせていたい息子に1年の浪人や専門学校にも通わせてくれて、しかも結果も出せずに就職も成り行きに任せて決めて、1年も持たずに辞めてしまった。

そんな傍から見たら落ちぶれていくような人生を送っているような息子に対して不安や不満もあったろうに。

それでも黙って見守ってくれたのだろうか?

親となった今、当時の自分自身を罵りたくなります。

そんな時代のアルバイト生活も1年を過ぎる頃、母から経理の仕事を勧められました。

母は共働きで経理事務を仕事にしていました。母の父も経理畑の従事者だったと教えてくれて、もしかしたら系統的にも合っているかも?なんて単純な感覚でしたが何はともあれ一つ始めてみようと思いました。